日本における寝台列車の歴史2

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■日本における寝台列車の歴史2

●寝台専用列車の出現

日本国内の鉄道は1950年代から全体の輸送量が急激に増えました。
一方で、戦時中に一時廃止されていた3等寝台車が1956年に復活し、比較的安い運賃で寝台利用が可能になった事で、寝台車の需要も高まっていきました。
東海道本線全線電化に伴うダイヤ改正では、東京~博多間を結ぶ特急列車「あさかぜ」が新設されました。 10両の内5両を寝台車が占め、当時としては寝台車の比率が高かったのですが、好成績を挙げました。
1957年からは、東京~大阪間を結ぶ夜行急行「彗星」の組成を変更しました。14両編成中12両を2等寝台車と3等寝台車が半数ずつを占め、座席車は最後尾の3等座席指定車1両だけでした。 この列車は、列車番号が「名士列車」と謳われた17・18列車と同じであったことから「名士列車の再来」と言われました。この「彗星」を、寝台専用列車の嚆矢(こうし)と見る考え方もあります。
1958年には日本初の固定編成客車として20系客車が登場し、特急「あさかぜ」に投入されました。13両編成中旅客車は座席車が3両有るだけで、他はすべて寝台車でした。 なお、編成には食堂車・電源荷物車各1両が含まれていました。
1959年には常磐線経由の上野~青森間夜行急行「北斗」が寝台列車化されました。12両編成(うち食堂車1両、荷物車2両)中、2等寝台車2両、3等寝台車6両で、座席車は3等座席指定車1両のみでした。
「彗星」・「北斗」に1両だけ座席車が連結されていたのは、1950年代~1960年代初頭の寝台車に緩急車がほとんど存在しなかったためです。 夜行急行列車の寝台列車化措置は、列車全体の居住性改善や保守・点検の合理化などの目的があったといわれています。


寝台専用列車の出現


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